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景気が悪くなっていることを恐れるな。戦いの姿勢を取って取組みを考える

新聞やテレビ報道を見ていると、生産台数の減少、季節工・臨時工の削減、売上と収益の下方修正、銀行の貸し渋り、などなど気がめいる話のオンパレードだ。
確かに売上が激減すると固定費の高い企業は一挙に赤字に突入する。
企業はそのために、投資を減らし、無駄なコストを削減する。
今回の場合は、一挙に悪化したこともありどのように対応してよいのかがわからず、コスト削減と合理化という守りに入っているようだ。
企業は臆病になることではなく、今回の危機を好機ととらえ体質強化に必要な取組みを行うべきなのだ。
対象とする顧客を明確にしたうえで、求められていることを徹底的に理解し、その期待値や満足を満たすために、“聖域”にこだわらず必要な取組を行うのだ。
まさに事業の原点にもどって筋肉質の経営体制を新規に構築することのみが、企業発展を約束するのだ。

 
【解説】
 
企業業績が大幅に下方修正されるなど、企業を取り巻く経済環境は悪化している。
 
消費者は耐久消費財の購入だけではなく日常の生活費の出費さえ控え、企業も設備投資や人に対する投資を抑制する。
これらの行動が世界規模で起こっていることで、景気はさらに悪化していく。
 
不景気なときにありがちな“コスト削減と合理化”という取組みで本当に企業は生き残れるのか?
それでは無理というものだ。
 
第一次オイルショックの時は“コスト削減と合理化”によって、乗り切った。
しかし、90年バブルが崩壊したときに、企業はやはりコスト削減と合理化を行い、その結果が“景気連動で成長は出来ても継続的に成長できない企業”を作り出したのではなかったのか。

 
 
過去の取組みの改善改良では成り立たず、コスト削減と合理化では生き残れない可能性が高いとするならば、企業はなにをするのか。
 
原点に戻るとはなにを意味しているのか。
それはターゲットとする顧客に戻り、ビジネスシステムを強化し、管理部門を含め継続的な売上増大を確実とするインフラの強化や、全社員の成長に向けた意識作りに取組むことを意味する。
 
それは戦いの姿勢を取る企業にしかできないことであり、いまこそ、その実現性を信じて改革の旗を振る必要があるのだ。

 
文責:斎藤顕一

斎藤顕一語録の著作権はフォアサイト・アンド・カンパニーにあります。
無断転載はご遠慮下さい。

間違った社員への温情主義は会社を滅ぼす

人を大事にすることは素晴らしいことだ。
企業の業績が上がるか上がらないかは“多くの人の知恵と行動”によって影響を受けるため、人を大事にするかしないかはまさに企業業績の明暗をわけると言っても過言ではない。
人を大事にするとは、人に企業が目指しているビジョンを示し、それが実現できるような学びの機会を提供し、自分の能力を最大限に発揮できるようなチャンスを与え、貢献に対して次なる大きな貢献が出来るように報いることなのだ。
貢献することができなくなった人には別の貢献が可能とする領域を提供する。
これらの一連の取り組みを行うことで、初めて“人を大事にしてきた”と言える。
成長することを放棄している人を、単に過去の貢献だけで他の人に影響を与えるポジションに残し続けることは、実は人を大事にしていることではなく、むしろその人をダメにすることだけではなく、会社を崩壊させる道を選んでいると考えるべきなのだ。

 
【解説】
 
自分を成長させようと、知識を増やす努力したり、いい仕事をしようと工夫したり、人の話に耳を傾けたりする人を見るとなんだか楽しくなってくる。
将来になにか面白いことが起こりそうで応援したくもなる。
 
会社の成長には戦略的施策が必要であるものの、自分の成長を求めそれが結果的に会社の成長につながるはずだと考える人材がいるかどうかで、企業が大きな飛躍が出来るかどうかが決定される。
 
まさに、企業においては“成長することの意味”が単に自分の属する組織における出世という小さな目的ではなく、自分の価値を高めるためだと理解して、自ら苦労する道を選ぶ“人財”を作り出す必要がどうしてもあるのだ。

 
 
確かに、企業において成長することの重要性をなんとなく理解し、自分を高めたいと考えている人は、若い人を中心に結構存在している。
 
この人たちは、先輩の意見や人事部の考えを聞くことはできるものの、“どのようにすれば効果的に自分を成長させることが出来るか”の考えをしっかりと持っているわけではない。
 
そのため、経営者が人財開発に関して自分の言葉で“思想”を伝え、その思想を具現化するための具体策を示すことに期待するのだ。
 
多くの企業が、“本人任せ、現場任せ”の姿勢をとるが、その意味は、人を大事にすると言いながら、なにもしていないことを従業員に公言していることと同じなのだ。
 
企業の人材育成に対する取り組みは、単に思想を明確にするだけではなく、すべての人事施策が人の育成に軸足を置いた取り組みであり、貢献した人財に公平に報いることが大前提になる。
 
それが人事施策の根幹であるにも関わらず、“成長することを放棄して、なんら貢献できない人間を間違った温情主義で守る”ことで、会社発展の担い手となる人材を失っていくことに拍車をかける。
 
物理的に退職することも大きな損失ではあるが、可能性のある人材から成長する意欲を奪ってしまうことは、会社全体から“人を通じて企業を成長させる風土”を奪っていくことにつながり、その影響度合いは極めて大きいのだ。
 
大事な考え方は、意欲のある貴重な人財を育成することで会社の成長を達成することであり、自ら成長することを放棄した人たちを温情主義で守ることではないのだ。

 
文責:斎藤顕一

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問題解決はScienceでありArtである

「問題解決は直感の作業ではないし、思い込みの世界でも経験に基づいた作業でもない。問題解決はScienceでありArtである」という言葉は、1996年に「問題解決のアプローチ」という研修資料を作成したときに初めて使った。
コンサルティングで感じていたことは、問題解決の目的は、「企業の問題を解決し、業績を大きく向上する」ことであり、単に“素晴らしい分析を行って、優れた施策を立案する”というScienceの部分だけでは成果をあげることが難しく、“人の心”を十分に理解し、人に影響を与えるArtの部分がなければ成り立ちにくいということなのだ。
問題解決を可能とするためにはまさに全身全霊で取組むことが必要になる

今までコンサルティングを導入したものの成果があがらなかったんです、という声をよく聞く。これらの意見は決して資源の限られた小さい規模の会社だけではなく、売上げが数百億円、数千億円企業からも聞く。
 
とすると、これは企業の問題ではなくコンサルタントの問題か、あるいは企業とコンサルタントの相性の問題になるのか。確かにそのような可能性もなきにしもあらずだが、多くの場合は大きな飛躍を可能とする方策を“すべて”実施されていないことが原因だろう。

 
売上が上がらない原因は、競争力が低下しているからであって、それを強化するためには、バリューチェーンを見直す必要がある。
もちろん、自社のバリューチェーンだけを評価しても意味がないため、顧客や市場、競争相手の動向を理解し、本質的な問題点を理解する必要がある。
これだけでも膨大な作業量と洞察力が必要で、さらに売上げ増大のためのインパクトのある取り組みを考える力も不可欠だ。
 
論理的帰結として考え出された施策は、“高い確率で売上げが増大する”方策であり、それを確実に実行できたときに、成果は確実に現れる。
 
なのに、なぜ成果がでないか。これらの成果実現ための方策は今までやったことのない取り組みであり、新しいスキルや体制が必要になるのだ。
これらのインフラに関わることが未整備であることが、成果を生み出さない原因になるものの、最も大きな影響を与えるのは、“新しい施策に取組みたくない人”が数多く存在し、この人たちが成果をあげる上での阻害要因になるのだ。
まさに会社を変えるとは戦略立案だけではダメだということだ。

 
今までにやったことのないことをするということは、その会社のやり方に慣れ親しんできた多くの“経験者”にとって、苦痛以外のなにものでもない。
高齢者に“さあパソコンを使ってください”、というようなものだ。
 
施策を提示し実行計画をいくら作成しようが、成果をあげる主体は人であり、この人たちに“戦う姿勢をとらせる”ことが不可欠。
これは純粋に人の問題であり、ロジックの世界ではなく感性や感情が重要な役割を果たすArtの世界になるのだ。

文責:齋藤顕一

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情報収集はロジックである

本質的問題の発見を行うためには、「情報収集」、「分析」、「整理・統合」の3つの重要な作業の流れがあることをいろんなところで説明してきた。
問題の本質を理解するためには、“現在起こっていること”を、思い込みではなく客観的に理解するために必要な情報やデータを集め、分析することが不可欠となる。
しかし、必要な情報項目をどのようにして決定していいのかがわからないのが現実である。それではどのように必要な情報項目を考えるのか。
それには2通りある。
ひとつは分析するテーマに関して演繹的に分解していく方法。
もうひとつは、インタビューなどによって、特定テーマについての意見を聞き、それらの意見を共通項でグループ化し、それらを帰納的にまとめてまず結論を仮説ベースで決定する。
そしてその結論を演繹的に分解して、その結論を証明するために必要な分析項目を決定し、その分析に必要な情報を明確にするというやり方だ。
これらの方法を取ると、総花的に調べたり、思い込みで漏れのある作業につながることが防げるのだ。
これらの2通りの方法は、帰納法と演繹法を理解している必要があるため、情報収集はロジックと言えるのだ。

 
【解説】
 
物事を正しく判断するためには情報が必要であることは言うまでもない。
 
しかし、企業であれ、部門であれ、担当者であれ、直面している問題点を正しく評価するために必要な情報はなにか、という問いかけに対して正しく答えられる人たちはほとんどいない。
 
せいぜい自分の経験上、知りえてきた情報項目をあげることができるぐらいで、今まで知りえなかった情報項目をあげることはまず不可能だ。
 
それはロジックで情報項目を考えるということを教わったことがないし、演繹的とか帰納的という考え方になじんだことがないからだ。

 
例えば、「営業の問題点」に関して情報収集の必要な項目を演繹的に考えてみると、まず大項目として「販売力」、「販売支援体制」、「営業の意識」の3つに分けて考えられるのではないか。
 
「販売力」は、「営業個人別の生産性」、「拠点別・課別オペレーション」、「拠点別・課別投入資源」に分けて考えることが出来るだろう。他の項目についても同じように可能性の高い項目で分解して行くわけだ。

 
仮説を決めて情報収集を行う上でもうひとつ大事なことは、出来るだけ多くの顧客、代理店、自社のいろんな部門の人たちに意見を求めることだ。
それによって、問題の本質についてのあたり付けが出来るだろうし、重要な問題を漏れ逃す可能性が低くなるからだ。
 
聞いた意見をグループに分類するだけで、どんなテーマ(情報の大項目)が重要になるかがわかる。
そのまま分解してそれらを証明するための分析とそれに必要な情報項目を明確にしても良いが(ただし重要度については理解できない)、出来ればグループ化したものを要約してさらにそれらを要約することで、本質的問題が何になるかを考えたほうがよい。
 
そこから、また演繹的に分解し、情報項目を決定するわけだ。これらの作業は難しいとはいえ、問題の本質を発見するために必要な取り組みであるため、ぜひ学んで欲しい。

 
文責:斎藤顕一

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効果的な教育には参加者の意識をまず変えることが不可欠

教育プログラムは、ビジョンや戦略から考えて設計していくことが重要であると前回の語録で説明したが、いくらプログラム自体が優れていてそれを教える人材が優れていたとしても、参加者の成長に関する意識に問題がある場合は大きな効果を期待することは出来ない。
就職活動でも学生が企業を選らぶ基準として、充実した教育プログラムをあげることが多いが、個々人を成長させるのは企業ではなくて自分自身にあることを理解する必要がある。

「問題解決の考え方」を教えていると、受講生によってなぜこんなに理解度が違うのかということについていつも考えさせられる。

まさに、“なぜ理解度が人によって大きく違うのか”の答えが解らなければ、教えることの効率と効果を高めることができないからだ。

問題解決の考え方の多くは、学校時代に学べることでもなく、まして企業で学べるわけでもない。
要はゼロから学ぶ人が多いために、考える力がある人たちが受講生であることを前提とすると、理解度においてそんなに大きな差がでるとは考えにくいからなのだ。

教えるときの受講生の数はせいぜい20~30名と少数であるため“居眠りする”ことは難しいし、多くの場合は選抜された人たちで優秀であるはずであり、個々人への質問の違いは若干あるとは言え、同じ資料を使い同じ説明の仕方をしているので、学びの条件はほぼ同じである。

それでも、すごく出来る人と“思考停止しているかの人”が存在しており、これを単に問題解決に“向き、不向きがある”ということで済ませるわけにはいかない。

ここで受講生にインタビューをしてみて初めて解ったことは、理解度の違いは“学びに対する姿勢や本人の意識”にある可能性が高いことだ。

“考え方を学んだとしても、そう簡単に能力が高まるはずがない”と思っている人、“自分は人事部に言われたから研修に参加しているんであって、本当は現場で仕事をしていたい”と考えている人、“自分の能力はかなりレベルが高いので、いまさら研修なんて必要がない”と考えている人たちは、恐らく”慣れていない新しい考え方“を受け入れることを無意識に拒否している可能性があるのだ。

そのような姿勢を持っている人の考え方は結局今までの思考方法と変わらず、“方程式を覚えるがごとくに考え方を「記憶」してそれをいろんなケースに当てはめて考える”ということになる。

それは考え方を「理解」したわけではないため、本来の目的を満たす最適なアプローチを考えだすということができていないということなのだ。
それが結局、人の学びの差につながっているのだ。

効果的な教育は、まず人の学びに対する意識や姿勢を変えることにあり、一連の教育プログラムの一番最初に“効果的な学び”についての“講義”を行うことは極めて重要になる。

文責:齋藤顕一

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教育プログラムも業績向上の視点から考える

今までの“成功体験や経験”だけで、事業運営を行うことが難しくなったためか、企業は管理職や一般職の教育により熱心になってきた。
確かに企業の意識としては社員教育の充実に向けて進んでいるのではあるが、“ある明確な目標を持って人材教育を体系的に考えている企業”はまだまだ多くはない。
人材育成に熱心な企業では、担当部門である人事部や総務部が、プログラムの内容や、誰がどのようにいつ実施するのか、などを考えるのであるが、どうしても総花的になってしまう傾向がある。
ともすれば“育成”することが目的であることを忘れてしまって、“教育プログラムの実施”が目的になってしまったりするからだろう。
本来教育プログラムは、マナーやコンプライアンスなど社会人として基本的に学ばなければならないものは当然含めるとして、会社の業績向上に貢献できる人材を育成することが重要であり、そのためのプログラムを設計する必要がある。
会社の業績向上とは、優れた戦略や卓越したオペレーション、社員のやる気のマネジメントなどを実現させることからなっており、教育プログラムはそれらを学べるものでなければならない。

企業での研修プログラムというと、新入社員教育、管理職研修、また階層別研修、機能部門別の研修など、人材育成に熱心な会社であればあるほどプログラムの種類は多岐にわたる。

企業における人材育成の目的は、“世の中の役に立つ人材育成”や“良き企業人”というような抽象的なものだと、育成プログラムは自然に総花的にならざるを得なくなる。

総花的な研修しか提供されないと、社員も自ずと“研修を受けさせられているモード”に入っていく。このような状態になると研修に対する投資効果は大きく低下することになる。

人を“使う”ことに熱心で、“育成”することに興味のない企業は論外であるものの、社員の育成を真剣に考えるのであれば、まず自社のクセや継続的な成長の阻害要因となっている重要な問題点を理解し、解決のための施策を考え、それに基づいて人材育成を考えるのが正攻法といえる。

社員にとって自社の企業業績を高めることに貢献できる考えやスキルを学ぶことは“個人の達成意欲を刺激する”ことでもあり、教育を受動的に捉えるより積極的に考えるようになることも大きなプラスといえる。

教育プログラムの内容を考えてみると、当然“競争優位を持続させることが出来るような施策”を考える問題解決スキルは必要であるし、それらの施策を他のメンバーに伝え行動に移させるスキル、つまりは“演繹的に考える力”や、“コミュニケーション力”、“リーダーシップ”など、も大事なプログラムと言える。

と同時にもっとも重要な“考えの軸足をどこに置くか”というような、個人の姿勢や生き方を決定させる上で重要な“価値観の形成”についても学ぶ機会は“歯車的人材を造らない”ためにも不可欠な要素となる。

文責:齋藤顕一

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判断力を養う

判断力はビジネスの現場だけではなく、日常生活で求められることも多く、その能力を持っていることはかなり高く評価される。
判断する能力があるということは、決断力があることにもなるからだ。判断力を求められる場合とは、多くの場合どうしていいかわからない困った状況で決断を求められるときであり、ともすれば単にYESあるいはNOで答えることよりも、みずからの考えを求められるために、困難さを感じることになる。
そのため、“判断すること”を避けるために、そのような役割を担うことを拒絶したりすることも起こる。
それでは、どのようにその判断力を増せばいいのか。
それはロジックでじっくり考えて判断するというよりも、反射的な対応が必要であり、結局は自分なりの判断基準をどう持つかが重要となる。
その判断基準とは、自分の体験の積み重ねによって生じるものであるため、判断力を養うためには、状況を理解し、考え、行動し、その行動が正しかったかどうかを検証することを絶えず行う必要がある。

(斎藤顕一)

 
【解説】
 
ビジネス現場で決断しなければならない場面は、役職や責任が重くなればなるほど多くなるし、そこで優柔不断になることはリーダーとしては許されない。
 
決断しないことは、企業にとって競合優位を維持する上で重要な“スピード”を削ぐことを意味するし、それ以上に大事なことは部下からの信頼を失い、リーダー不在の個人任せの組織になってしまうからだ。
 
正しい決断とは正しく状況を判断することから初めて可能となるが、どのようにすれば状況を正しく判断できるのだろう。
 
状況を理解するために当事者の話をしっかりと聞くことや、事実ベースのデータを分析する余裕があれば、より成功確率の高い判断を下せる可能性は高くなる。

 
 
しかし、現実的には即断・即決を求められることが多い。その場合は自分の判断力に従うわけだが、それを磨くためには“本から学ぶこと”ではなくて、“自分の体験から学ぶ”必要がある。
自分で考え、行動しそれで成功した場合を“判断基準”として採用するわけだ。
 
私はその時の考え方や行動の仕方を“成功のための原理原則”と呼んでいる。
それは決して、細かい具体的なことではなく軸足となるものなのだ。
 
例えばそれは、「顧客の利益を自社の利益より優先する」、であったり「困難に直面したときは、逃げないでチャレンジしたほうがダメッジは小さい」、「提供者の視点ではなく、受益者の視点で考える」、「売上や利益などの数字は行動の結果なので、数字達成の方法を正しく知らせない限り本当の成果はあげられない」などである。
 
そういったものは、自分なりに考え、行動した結果として学習したものなので、その判断基準に対する絶大なる信頼があり、判断が求められるとき正に体というか頭が反応することになるのだ。

 
文責:斎藤顕一

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人材育成の軸足を決める

企業で人の育成が大事であるということに反対する人は誰もいない。企業で人の育成が大事であるということに反対する人は誰もいない。
しかし、企業という組織の中で、企業が目指している目標を達成するうえで

“大事にするべき人とはどんな人か”について、

しっかりとした考え方が持たれているかどうかは疑わしい。

人は千差万別で人よりも優れているところもあるし、劣っているところもある。

それは人間だから仕方がない。
しかし、企業において、能力の如何にかかわらず

“今までの路線を継続することしか考えない”、

さらには“成長することを放棄し現状維持を決め込む”人は、いくら他に良いところがあったとしても、

企業の中では大事にするわけにはいかない。
その人たちは、新しい環境における問題にチャレンジし、自分を成長させ、

企業業績をあげようとしている人たちに悪影響を与えるからだ。
逆に、人がどんな失敗を過去におかそうが、

あるスキルに関するレベルが低かろうが、

一生懸命努力し自分の弱みに取り組み、

自己の成長を目指している人たちを“大事にしない”のは大きな間違いと言える。
企業は、しっかりとした軸足を持っていなければ人の育成はできないことを理解すべきである

少子化が進む中、入社して2~3年で退職する若者が増加傾向にあることに加え、

頑張る意欲を持たないサラリーパーソンが

70%も存在していることは企業にとって大きな脅威になりつつある。
この危機感の高まりの中で、

“人はOn the job trainingで学べるはずなので新たな教育は必要ない”と

教育をほとんどやってこなかった企業の中にも、

やっと今までの間違いに気がつき始め、

真剣に人の問題に取組み始めたところも出てきた。
競争環境が大きく変化する中で企業業績を向上させるためには、

新しい事業の立ち上げや社員の生産性を向上させるための取組みが必要なのだが、

既存のレールの上ではうまく仕事をこなせる人間はいても、

新たな取組みを構想しそれらを実現させる方法を考え、

行動できる人間がほとんど社内にいないことに気がついたのだ。
役員や上級管理職は、

まさに自分たちの過去がそうであったように、

自分たちに忠実で頑張っているように見える人たちを大事にして高く評価しがちである。
ここで、管理職に対して360度評価をしてみたらどうなるか。

必ずしも役員や上級管理職に評価されている人が、

部下から評価されているとは限らないことに気がつく。
今までの取組みでは問題の解決にならないことが分かっているのに、

新たな施策を考え提案し実施することもできない人は数多くいるだろうし、

むしろ取組み方がわからないので部下任せにしてしまう管理職が多いことに驚くはずだ。
人事施策がいくら優れたものであろうとも、

役員や上級管理職が

“企業変革に大きく貢献してくれる人材とはどのような人であるか”について

軸足をしっかりと定めていないと、

企業が本当に求めている人材を育成することはまず出来ないと考えたほうがいいだろう。

文責:齋藤顕一

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競争力強化のためのバリューチェーン

今のようにGDPがほとんど伸びない経済環境では、売上を伸ばし続けることが企業にとっての大きな目標となるが、その中でも企業が特に重要と考えていることは競争企業に比べてより高い成長率を達成することだろう。
その実現のためにと、企業はすぐに販売力の強化を考えるが、これだけでは決して正しい取組みとは言えない。
他社より売上をあげるためには、シェアを増やすことが大事である。
シェアとは競争力を強化することであって、販売力以外の要素も多くの場合、強化することが求められるのだ。
まずは自社のビジネスシステム上の問題がどこにあるのか、また各ビジネスシステムの要素は連携がとれているのか、などを検証し優先度をつけて取組むことが重要となる。

(斎藤顕一)

 
【解説】
 
経済成長が鈍化すると、多くの企業の売上も思うように伸びなくなる。
 
企業はコスト削減やリストラに取組むものの、それは活動制限につながることが多く人の意識に悪影響を与えることは否めない。
そのため、企業はなんとしてでも売上を増大させようと努力する。
 
このこと自体は正しいが、よくあるケースは売上を増大させるために“販売力の強化”だけに取組むことだ。
 
売上増大施策の優先度を考えた場合、販売力の強化はすぐに成果につながりやすいという観点では正しいものの、販売力を強化しただけでは売上を継続的に増大させることは出来ないことを理解すべきだ。

 
競争相手に対して優位性を確保しない限りシェアは増大しない。
つまり市場が急激に成長していない限り、売上を増大させることはできない。
 
シェアとは競争力の度合い、つまり強さを表しており、競争力とは販売力だけではなく、製品開発力、コスト競争力、マーケティング力やサービス力も重要な要素となる。
 
ここで大事なことは、競争力を強化するために“競争相手”と自社を比較する以上に“顧客がなにを求めているかを理解する”ことなのだ。そうすることで、なにを強化すればいいのか理解できるようになるのだ

 
ビジネスシステムはバリューチェーンとも呼ばれており、それぞれの要素を強化したとしても全体が連携していなければ“競争力”は高まらない。
 
企業が提供する価値は、ビジネスシステムの各要素が強化され、それらがまさに“鎖のようにつながって”(バリューチェーン/Value Chain/価値連鎖)初めて大きなものに変わるといえる。

 
文責:斎藤顕一

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優秀な管理職をもつ会社になるために

企業運営において管理職の役割は極めて重要であるにも関らず、役割を遂行できる人材を登用し育成しているケースは決して多くない。
ともすれば、管理職になれる年齢層で、過去からの上司受けが悪くない、目立ったミスもない、昇格試験にパスした、という理由から管理職になっているケースが多いのではないだろうか。
しかし、本来、管理職は会社が目指す目標を実現させるためにチームを率いていくリーダーであり、施策実現の方法を具体的な行動レベルまで落とし込む能力や、チームメンバーを育成し成果をあげることが出来るように支援する能力が必要になる。
企業は、管理職の役割を再定義し、人選の方法や評価の見直しを行うと同時に、管理職が自分自身を磨くための考え方や行動の仕方を徹底的に教え込む必要がある。

(斎藤顕一)

 
【解説】
 
管理職が企業業績を高めていく上で極めて重要な役割を果たす立場にいることに反対する経営者は皆無だろう。
にもかかわらず、なぜ多くの管理職が期待された仕事をやれないのか。
 
もちろん本人の問題が大きいことは否めないものの、実は企業側の問題のほうが大きい。
 
企業側の問題とは大きく分けて、役割を明確化できていないこと、管理職の選別基準が間違っていること、管理職を育てるプログラムを持っていないこと、の3つである。

 
 
管理職は“偉さを表している”わけではない。
企業が目指す目標をチームメンバーの力を最大活用しながら実現していく役割を担っている。
 
管理職は“役割”であるため、まず企業が期待している役割を明確化しないかぎり管理職としての役割を果たしようがない。
 
人やお金という資源を最大限に活用しながら企業が目指している目標を達成することが重要な役割であるため、人の育成に興味のない人や、投資効率や効果を考えることが出来ない人や、施策を具体的な行動レベルに落とし込もうとする意欲が欠如している人がそもそも管理職に選ばれてはいけないのだ。
企業は間違った管理職を選んだ代償として会社の将来を危うくする可能性があることを理解すべきだ。

 
 
もちろん、将来の経営層になりうる可能性のある人材を選抜できたとしても、その人たちを育成できるかどうかも重要な課題となる。
 
会長や社長が自分の経験を語ることは、企業の価値観を理解させ軸足を決定するうえで極めて重要であるが、取り巻く市場環境を事実ベースで客観的に理解して施策を考える方法、自分の仲間を励まし・支援し・育成する方法については新たに学ぶ機会を提供する必要があるのだ。
 
これらのスキルや能力の取得には、人の経験から学ぶことだけではなく、論理的に“成功確率の高い方法を理解する”ことが重要となる。
 
ただし、ここで注意してもらいたいのは企業側が提供できることには限界があるという点である。
 
結局、個々人に高い意識を持たせ、「自分を成長させるためにはどうしたら良いのかを考え、自ら行動し、レビューし間違ったところは修正する“クセ”」を日々の活動からつけさせることが出来るかどうかが優良なリーダーを創りだしていくことになる。

 
文責:斎藤顕一

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