人材育成 |

“考えろ!”ではなく方法を教える

「言われたこと指示されたことはなんとか出来るけど、自分の頭で考えて行動する社員や考えをまとめて提案できる社員がいなくて困る。
管理職ですらそうなのだから会社の業績があがるわけがない」と嘆く経営者がよくいる。
もちろん思いつきで行動されて失敗するのも困るわけだけど、なぜ考えることが出来ないのか?
これは社員に能力がないのではなく、“考えるとはどういうことか”がわからないからなのだ。
考えるためには“考えるための材料”を自分で探し出すことを教えてあげないと旨くいかないのだ。
考えるための材料とは、経験とか本から得た知識ではなく、事実ベースの数字であり、顧客に質問して聞きだしたことなのだ。
それらに関して、なぜそうなっているのかについて疑問を持ち、答えを自分なりに見つけようとすることが“考える”ということなのだ。

 
企業の管理職の人に「今の部門業績はどうなっていて、その業績を高めるためには具体的になにをしているのか?」という質問をしてみる。

業績については先月に比べて売上や利益がどうなっているかはほとんどの人が答えることが出来る(過去1~2年の月別変化について答えることが出来る人はまずいない-笑)。

しかし、具体的になにをしているかの問いに対しては、業績悪化の原因とは関係がないことを言うか、「会社方針に従って、会社が決めた重点事項に一生懸命頑張って取組んでいます」と言うか、しかない。

そして一般社員に対しての問いかけ「自分の売上をもっと上げるためにどうしているのか?」についての答えも、「管理職からの指示に従っています」「頑張っています」というように、思考停止している状況になっている。

もちろん、管理職や一般社員のなかには、「業績はこうなっているのですが、どうも原因はこんなところにありそうです。だから、こんな取組みをしているのです」という人もたまにいる。

なにが違うのか。自部門や自分の数字の変化、顧客データベースに記載されている内容の変化、また実際に自分の顧客に質問してなにが起こっているのかを理解しているか、していないのかの違いなのだ。

過去の経験や書籍から学んだ一般論から、当たり前のことを言っているのではなく、直近で起こっている変化を理解した上で、課題の解決法を考えているのだ。考えるための材料がなんであるかを示すことができたら、次に数字をみて、それらをどのように読み取れば良いのかということについてアドバイスする。

また顧客にどのような質問をすれば良いのかということを、断片的に教えるのではなく、体系的に筋道を示しながら教えてあげると初めて“考えることの出来る社員”を作り出すことができるのだ。

文責:齋藤顕一

斎藤顕一語録の著作権はフォアサイト・アンド・カンパニーにあります。
無断転載はご遠慮下さい。

新入社員は5年間は死にものぐるいで働け

世の中で存在感を示している「成功した人たち」にインタビューしていると、人が成功する理由は本当にいろいろあるのだな、と感心してしまう。
学校で勉強をしなかった人もいれば、勉強に夢中になった人もいる。
一貫して自分の夢の実現を目指して頑張った人もいれば、目の前に降ってわいたような話に飛びついてチャンスをつかみ続けた人もいる。
様々なやり方はあるが、そんな中にもいくつかの共通点は見出せる。
そのひとつは、大成する物事を始めたときに、一生懸命だったことだ。学生時代に勉強しないで好きなことだけやっていた人も、社会人になった時にはそれこそ猛烈に仕事に取り組んでいるのだ。
それも単にガムシャラに働いたのではなく、上司の期待値を理解し、その期待値を超えようと努力したのだろう。
そこで苦労して、単に我慢する方法だけでなく、どのように問題を解決すれば良いのかを体験すると同時に、それが楽しいことであることを学んでいるのだ。
それが将来に大きな影響を与えたことは間違いない。
社会に出た最初を、そのように頑張り続けて過ごす人と過ごさない人との違いはいかに大きいことか。
それは新入社員というだけではなく、新しいポジションを得たとき、新しい部門や新しい会社に変わったときも同じことが言えるのだろう。

現役大学生と話をしていると、“どうすれば楽をしてお金を儲けられるのか”とか、“どうすれば入社試験の面接をうまく乗り越えられるのか”とかの質問を受けることがある。
 
入社2~3年目の社員からは、“上司は、指図はするけど教えてはくれない”、“忙しすぎて勉強ができない”との話もよく聞く。
 
これはどういうことなのか。
客観的に評価すると“自分の成長は自分自身が負う責務である”といの認識を持っていないと言えるかもしれない。
 
しかし、それでは成功している人達は、そのような“高度な認識”を最初から持っていたかというと、必ずしもそうではないのだ。
 
彼らの大半は、自分のボスの期待値をなんとなく理解し、その期待値を超えるために猛烈に頑張っただけなのである。
それと同時に、自分のその時の能力では期待値を満たすには不十分なことを知り、足らないところを強化しようともしている。
 
何より、自分には無理なので誰か別の人にやってもらおうとか、言われたことだけを適当にやっていればいいのだ、と考えて、苦労から逃げることだけはしなかったのだ。
 
自分のレベルが上がれば相手の期待値も上がる。
こうして段々高まっていく期待値を満たすために“自分の頭で考え、試行錯誤するプロセス”を通ることで成長のスピードを高めたのだ。
 
むろん自分なりに苦労して得た成果への喜びは大きく、次の飛躍の原動力になったのは間違いない。要は良いサイクルを自分で作り出したのだ。
 
もし、みなさんが新入社員を預かる先輩であるとするならば、単に仕事を与えて忙しく働かせるのではなく、期待値を示しその期待値を達成するためのヒントを教えてあげるといい。
 
また、時にはその人達の伸ばすべき弱点を指摘し、その解決のためにどうすればいいのかの例示を教えてあげることも良いだろう。
 
自分で考え苦労させることが重要であるので、答えを教えるわけにはいかないのだ。
 
自分を磨き、期待値を満たし、成果を達成するためには、未熟であるがゆえに、猛烈に働かないと追いつかない。
 
自分が働く企業にもし”成長志向の文化“がなく、自分の周りに”良い師匠“がいないのであれば、3年頑張る程度では不十分だろう。
 
それに、今のように変化のスピードが激しいときには、自分の考え方や行動のとり方のパターンをある程度見極めるには、やはり5年の期間がいるのではないか。
 
だから、必死で頑張ったらいい。そのような苦労は必ず報われるものだ。

 

文責:齋藤顕一

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コンサルティング教育によって成果をあげる

「コンサルティング教育によって成果をあげる」 人の育成に力を入れている企業も増えてきた。
特に、市場全体が停滞している時こそ、 「顧客を理解して顧客の期待にそって対応できる人材」が求められるからだ。
ところが、企業の研修は単に「人を育てることを目的」としているために、必ずしも 売上を増大させることに貢献できる人材を育成できているわけではない。
研修は企業価値 を向上できる人材を作り上げることであるため、まず企業の売上が上がらない理由を しっかりと理解した上で、人の育成プログラムを考える必要がある。
総花的な教育 プログラムは無駄なコストを発生させているだけではなく、“やらされ感”を持った 従業員にも教育を行うため、“教育ボケ”した人材だけを作り上げていてむしろ マイナスであると考える必要がある。

 
最近になって教育に熱心な企業が増えてきた。
 
人事部が準備した教育プログラムの全体図 を見せてもらうと、階層別、機能部門別、外部研修、自己啓発などなど、多くのプログラム が用意されていることに気がつく。
 
と同時に「でも売上があがらないし活性化もしないので すよ」というのが人事部の嘆きにもなっている。
 
なぜそのようなことが起こるのか? 「管理職にはこのようなプログラムが必要だ、営業にはこのようなスキルが重要なので学んでもらう必要がある」、という考え方は“一般論に基づいた教育方法”であって、企業の 管理職や営業には固有の問題の解決にはならないのだ。
 
管理職であっても、開発部門要員 であれ、営業であれ、それぞれの人に与えられた役割を果たすことができない理由があって、 それは企業によって異なるし、部門によっても異なるのだ。
 
とすると、最大限の効果をあげ るためには、まずその企業や部門が抱えている“重要問題”を十分に理解する必要がある ことを意味する。
 
ただ、それらの問題点はその会社で認識されていることとは必ずしも一致 していないことを理解しておく必要がある。
 
ちょうど、戦略コンサルティングを実施する 前に企業担当者が考えている問題認識と事実ベースで導き出された問題認識が大きく異なっ ていることと似ている。
 
わが社がコンサルティングを実施した企業に教育を行った場合の 効果が大きく上がるのはそのためだ。
 
戦略コンサルティングと人材育成をセットで行うのは ベストではあるが、コンサルティングを実施しない場合でも効果的なやり方はある。
 
問題点を理解する上で重要な事実データを、事前にもらってしっかりと分析することと、 問題意識のあるメンバーにヒアリングを行うのだ。
 
例えば、営業に関しては、拠点別・個人 別の生産性の推移や、営業のバリューチェーンの評価を行うことで、売上が上がらない原因 をまず理解する。
 
そうした上で、新たなバリューチェーンの強化方法と個人別の顧客への アプローチ方法を教える。これがまさに、コンサルティング教育と私がよぶものであって、 大きな成果につながるものなのだ。

文責:齋藤顕一

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新入社員教育をきっかけに人材育成プログラムを見直してみる

新入社員研修がまっさかりの季節。出来るだけ早く使える社会人を育てるべく、いろんなプログラムが実施されている。
アルバイトはしたことがあるものの、社会で働いたことのない人にとって、 社会や業界常識だけではなくその企業の常識に出来るだけ早いこと触れさせ、理解させることは重要である。
ただ、多くの場合、企業にはいかに“覚えさせるか”、“体験させるか”を中心としたプログラムで、 今までの企業文化の型にはめようとしている傾向があり、新人ならではの特徴を生かすことをも考えるべきだろう。
新入社員とは企業のキャリアにおける最初のステージであり、企業における人材育成プログラムの最初の活動といえる。 つまり、新入社員教育が、今までの人材育成の思想や枠組みを越えていないとするならば、 将来的にも今まで以上の優れた人材を作り出すことはできないと考えたほうがよい。
新入社員を迎えることは、その会社が築いてきた企業文化に新しい息吹を吹き込む絶好の機会でもあり、 全社の人材育成プログラムの設計にも影響を与えることが出来ることを理解すべきだろう。
もちろん、新入社員にも、自分たちが得てきた知識や感性でどのように企業活動に貢献し、 どのように自分の能力を高めていくべきなのかを教えなければならないし、 全社員に対しても新しい人づくりを展開していく決意と方法を示さなければならないことは言うまでもない。

 
新入社員には優秀な学生や、おもしろい個性を持った人達がいる。
 
しかし、そのような特徴のある人達が、会社に入社してほんの数年経つと普通の企業人になってしまう。
 
企業が新入社員を採用する目的を“定期採用”、“欠員の補充”、“戦力強化”、“若返りを図る”などに設定している限り、 当然そのような結果になってしまう。
 
この場合の育成の視点には、“素質を見抜き出る釘を抜く”発想がないため、 配属された部門で仕事を覚え生産性を高めて仕事が出来ること、 上司や先輩の指示に従うこと、そして他の人よりも頑張れる人など“配属された部門でいかにうまくやれるか”の枠組みでの育成方法になってしまう。
 
これらの方法は、その企業が長年築いてきた事業運営の方法に適した“企業戦士”を作ってきたのかもしれないが、 現在のように新しい市場での戦いが求められる中で、多様な価値観を持つ顧客の信頼を得るための人材育成にはまったく不適当とも言える。
 
成功の鍵も今までとは異なった競争環境で戦える人材とは、対象とする顧客の心を出来るだけ理解しようとする姿勢を持っていることや、 ITと事業を結び付けて考えることが出来たり、また論理的にモノを考えることが出来て顧客や取引先とコミュニケーションが取れる人達のことを意味している。
 
今までの育成方法を継続している限りでは今まで以上の優れた人材を輩出することはまず困難と考えたほうがよい。
 
まさに新人教育を“新たな会社のスキル獲得や文化の創造のきっかけ”として捉え、 “どこの会社でも使える人材”を意識して新入社員だけではなく、 新しい企業文化作りに参加できる人材を含めて育成プログラムを設計することが重要となる。

文責:齋藤顕一

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効果的な教育には参加者の意識をまず変えることが不可欠

教育プログラムは、ビジョンや戦略から考えて設計していくことが重要であると前回の語録で説明したが、いくらプログラム自体が優れていてそれを教える人材が優れていたとしても、参加者の成長に関する意識に問題がある場合は大きな効果を期待することは出来ない。
就職活動でも学生が企業を選らぶ基準として、充実した教育プログラムをあげることが多いが、個々人を成長させるのは企業ではなくて自分自身にあることを理解する必要がある。

「問題解決の考え方」を教えていると、受講生によってなぜこんなに理解度が違うのかということについていつも考えさせられる。

まさに、“なぜ理解度が人によって大きく違うのか”の答えが解らなければ、教えることの効率と効果を高めることができないからだ。

問題解決の考え方の多くは、学校時代に学べることでもなく、まして企業で学べるわけでもない。
要はゼロから学ぶ人が多いために、考える力がある人たちが受講生であることを前提とすると、理解度においてそんなに大きな差がでるとは考えにくいからなのだ。

教えるときの受講生の数はせいぜい20~30名と少数であるため“居眠りする”ことは難しいし、多くの場合は選抜された人たちで優秀であるはずであり、個々人への質問の違いは若干あるとは言え、同じ資料を使い同じ説明の仕方をしているので、学びの条件はほぼ同じである。

それでも、すごく出来る人と“思考停止しているかの人”が存在しており、これを単に問題解決に“向き、不向きがある”ということで済ませるわけにはいかない。

ここで受講生にインタビューをしてみて初めて解ったことは、理解度の違いは“学びに対する姿勢や本人の意識”にある可能性が高いことだ。

“考え方を学んだとしても、そう簡単に能力が高まるはずがない”と思っている人、“自分は人事部に言われたから研修に参加しているんであって、本当は現場で仕事をしていたい”と考えている人、“自分の能力はかなりレベルが高いので、いまさら研修なんて必要がない”と考えている人たちは、恐らく”慣れていない新しい考え方“を受け入れることを無意識に拒否している可能性があるのだ。

そのような姿勢を持っている人の考え方は結局今までの思考方法と変わらず、“方程式を覚えるがごとくに考え方を「記憶」してそれをいろんなケースに当てはめて考える”ということになる。

それは考え方を「理解」したわけではないため、本来の目的を満たす最適なアプローチを考えだすということができていないということなのだ。
それが結局、人の学びの差につながっているのだ。

効果的な教育は、まず人の学びに対する意識や姿勢を変えることにあり、一連の教育プログラムの一番最初に“効果的な学び”についての“講義”を行うことは極めて重要になる。

文責:齋藤顕一

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教育プログラムも業績向上の視点から考える

今までの“成功体験や経験”だけで、事業運営を行うことが難しくなったためか、企業は管理職や一般職の教育により熱心になってきた。
確かに企業の意識としては社員教育の充実に向けて進んでいるのではあるが、“ある明確な目標を持って人材教育を体系的に考えている企業”はまだまだ多くはない。
人材育成に熱心な企業では、担当部門である人事部や総務部が、プログラムの内容や、誰がどのようにいつ実施するのか、などを考えるのであるが、どうしても総花的になってしまう傾向がある。
ともすれば“育成”することが目的であることを忘れてしまって、“教育プログラムの実施”が目的になってしまったりするからだろう。
本来教育プログラムは、マナーやコンプライアンスなど社会人として基本的に学ばなければならないものは当然含めるとして、会社の業績向上に貢献できる人材を育成することが重要であり、そのためのプログラムを設計する必要がある。
会社の業績向上とは、優れた戦略や卓越したオペレーション、社員のやる気のマネジメントなどを実現させることからなっており、教育プログラムはそれらを学べるものでなければならない。

企業での研修プログラムというと、新入社員教育、管理職研修、また階層別研修、機能部門別の研修など、人材育成に熱心な会社であればあるほどプログラムの種類は多岐にわたる。

企業における人材育成の目的は、“世の中の役に立つ人材育成”や“良き企業人”というような抽象的なものだと、育成プログラムは自然に総花的にならざるを得なくなる。

総花的な研修しか提供されないと、社員も自ずと“研修を受けさせられているモード”に入っていく。このような状態になると研修に対する投資効果は大きく低下することになる。

人を“使う”ことに熱心で、“育成”することに興味のない企業は論外であるものの、社員の育成を真剣に考えるのであれば、まず自社のクセや継続的な成長の阻害要因となっている重要な問題点を理解し、解決のための施策を考え、それに基づいて人材育成を考えるのが正攻法といえる。

社員にとって自社の企業業績を高めることに貢献できる考えやスキルを学ぶことは“個人の達成意欲を刺激する”ことでもあり、教育を受動的に捉えるより積極的に考えるようになることも大きなプラスといえる。

教育プログラムの内容を考えてみると、当然“競争優位を持続させることが出来るような施策”を考える問題解決スキルは必要であるし、それらの施策を他のメンバーに伝え行動に移させるスキル、つまりは“演繹的に考える力”や、“コミュニケーション力”、“リーダーシップ”など、も大事なプログラムと言える。

と同時にもっとも重要な“考えの軸足をどこに置くか”というような、個人の姿勢や生き方を決定させる上で重要な“価値観の形成”についても学ぶ機会は“歯車的人材を造らない”ためにも不可欠な要素となる。

文責:齋藤顕一

斎藤顕一語録の著作権はフォアサイト・アンド・カンパニーにあります。
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人材育成の軸足を決める

企業で人の育成が大事であるということに反対する人は誰もいない。企業で人の育成が大事であるということに反対する人は誰もいない。
しかし、企業という組織の中で、企業が目指している目標を達成するうえで

“大事にするべき人とはどんな人か”について、

しっかりとした考え方が持たれているかどうかは疑わしい。

人は千差万別で人よりも優れているところもあるし、劣っているところもある。

それは人間だから仕方がない。
しかし、企業において、能力の如何にかかわらず

“今までの路線を継続することしか考えない”、

さらには“成長することを放棄し現状維持を決め込む”人は、いくら他に良いところがあったとしても、

企業の中では大事にするわけにはいかない。
その人たちは、新しい環境における問題にチャレンジし、自分を成長させ、

企業業績をあげようとしている人たちに悪影響を与えるからだ。
逆に、人がどんな失敗を過去におかそうが、

あるスキルに関するレベルが低かろうが、

一生懸命努力し自分の弱みに取り組み、

自己の成長を目指している人たちを“大事にしない”のは大きな間違いと言える。
企業は、しっかりとした軸足を持っていなければ人の育成はできないことを理解すべきである

少子化が進む中、入社して2~3年で退職する若者が増加傾向にあることに加え、

頑張る意欲を持たないサラリーパーソンが

70%も存在していることは企業にとって大きな脅威になりつつある。
この危機感の高まりの中で、

“人はOn the job trainingで学べるはずなので新たな教育は必要ない”と

教育をほとんどやってこなかった企業の中にも、

やっと今までの間違いに気がつき始め、

真剣に人の問題に取組み始めたところも出てきた。
競争環境が大きく変化する中で企業業績を向上させるためには、

新しい事業の立ち上げや社員の生産性を向上させるための取組みが必要なのだが、

既存のレールの上ではうまく仕事をこなせる人間はいても、

新たな取組みを構想しそれらを実現させる方法を考え、

行動できる人間がほとんど社内にいないことに気がついたのだ。
役員や上級管理職は、

まさに自分たちの過去がそうであったように、

自分たちに忠実で頑張っているように見える人たちを大事にして高く評価しがちである。
ここで、管理職に対して360度評価をしてみたらどうなるか。

必ずしも役員や上級管理職に評価されている人が、

部下から評価されているとは限らないことに気がつく。
今までの取組みでは問題の解決にならないことが分かっているのに、

新たな施策を考え提案し実施することもできない人は数多くいるだろうし、

むしろ取組み方がわからないので部下任せにしてしまう管理職が多いことに驚くはずだ。
人事施策がいくら優れたものであろうとも、

役員や上級管理職が

“企業変革に大きく貢献してくれる人材とはどのような人であるか”について

軸足をしっかりと定めていないと、

企業が本当に求めている人材を育成することはまず出来ないと考えたほうがいいだろう。

文責:齋藤顕一

斎藤顕一語録の著作権はフォアサイト・アンド・カンパニーにあります。
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