コロナの中でどのように考えるべきなのか |

コロナの中でどのように考えるべきなのか

コロナの中でどのように考えるべきなのか

新型コロナは経済に大きな影響を与えているけど、それ以上に、自分の心のコントロールが出来なくなってきていることが気になる。先が見えないことからくる将来への不安、現状の限られた生活スペースで行動することの閉塞感、区切りのない時間を過ごすことによる生活リズムの喪失、など、気持ちのゆとりに悪影響を与える。さらに、人と会うことで感情的触れ合いが起こり安心感が増すはずだし、対話することで知的な交わりが起こり成長を実感することが出来るはずなのに、その機会がなくなってしまった。確かに、“幸せホルモン”と呼ばれるオキシトシンというペプチドホルモンは、大事な人との触れ合いから産まれるようだし、人とのリアルな接触機会を増やすことは必要になりそう。
  
確かに自粛は大事であるものの“会うか?会わないか?”ではなく、コロナ感染リスクを最小化しながら、どのように誰と会うのかを考えることが大事になるということや。もちろん、それだけでは不安の解消にはならない。自粛による経済の縮小に対して、ただ単に経済の回復を待って企業活動を再開するのではなく、ポストコロナにおける新しい企業活動はどうあるべきなのかを考えることが大事になるのです。
  
つまり、お客様を喜ばせ、従業員を喜ばせるためにはどのような活動を行わなければならないのかを考える必要あるということなのです。これはまさに「問題解決の考え方」の理解であり、実践することだと思うのです。
  
たまたま、2006年の拙著「問題解決の実学」の「おわりに」に書いた文章を読み直す機会があり、その時の気持ちや考え方は、今も有効であるので、皆さんにも読んでいただきたく以下に記します。
  
注:2012年に「新版問題解決の実学」を出版したため2006年出版の「問題解決の実学」は絶版になりました。
  

少々景気がよくなってきたといっても、全体的にはまだまだです。そんな中、「とにかくがんばるだけ、がんばる!」という気合だけでは成功しにくくなっているせいか、ロジックや考え方についての本が巷にあふれ、「より客観的に、より分析的にとらえましょう」という世の中になってきました。
  
問題解決に関する本を書店で立ち読みしてみると、訓練を受けた人間にしか理解できない分析法や考え方が書かれていて、「いったいどんなやっちゃ、こんな難しい本を読むのは?」といつも不思議に思う。そういう本が平積みされているところを見ると、「本を読めば世の中の流れについていける、自分も賢くなる、カッコいいコンサルタントのようになれる、と思って読んでいる人がいっぱいいるんやろうなあ」と妙に感心しています。
  
そもそも、私は、論理性とはまったくほど遠い人間でした。それがいつの間にか、「ロジックで言うとこうなるんですよね~」などと偉そうに、企業で選抜された人に研修を行っているのですから不思議です。
  
私の“思い込み”かもしれませんが、どうも日本には、論理性よりも感覚・感性が大好きな人が多く、分析を行ってどの顧客をどのように攻めるかを決めるというより、太鼓を叩いて「今日もがんばるぞ~」と唱える精神論のほうが受け入れられやすいという風土がある。そのため、難しそうなことをごちゃごちゃ言う人や、論理的な話が好きな人は、どちらかと言うと人気がなく、おもしろみのない人間ととらえられてしまうようです。
  
私の出身地の大阪近辺では、論理的に聞こえるような話でもしようものなら、「コラ、何を難しいことをごちゃごちゃ言うてんねん。そんなんどうでもええがな~。はよ、動かんかい」と言われるのがオチでした。
  
たしかに、つくれば売れる時代には、がむしゃらに行動することが大事だと思われていたし、実際に成果があがりました。その時代を過ごしてきた人は、相変わらず「がんばる」ことを行って、エネルギーをいっぱい使い果たして、でも成果を出していない(悲しい!)。それなのに、さらにがんばるゲームを社内で強要して、がんばらされた社員はみな疲弊するという、マイナスのサイクルに突入してしまう。
  
その一方で、バブル崩壊後は規制緩和が徐々に進んで新しい競争が起こったり、顧客の好みが多様化したり、時代は大きく変化している。1990年を境に、これまでとはまったく異なる時代、つまり、どんな戦い方をすればいいかが見えない時代に突入しました。
  
いまや「基本戦略がない」と言われれば、「そうそう、基本戦略を考えなければ」とオウムのように唱える人がたくさんいます。その場合、戦略とは何かを考えたこともない人が、事業部別あるいは製品群別の目標値だけを決めて、後は「この数値を達成するために、みんながんばれよ~」と押しつけるだけ。結局、同じことの繰り返しです。
  
それで、成果は出たのかといえば、もちろん、出たためしはない。そこで、ちょっとはノウハウ本を勉強でもして、戦略らしきものを考えようということになって、「戦略立案ノウハウ集」がもてはやされているのでしょう。
  
この本の狙いは、特定の分析手法を理解してもらうことではありません。企業業績を高めるために不可欠な「問題解決法を実践する」時の考え方やアプローチを伝え、理解してもらい、それを使ってもらうことです。
  
具体的な分析事例を学んでも、その分析法が使える場面でなければ無用の長物。でも、考え方を学べば、それはどんな場面でも使えます。主観的ではなく、より客観的に考えられるようになって、世界がハッキリと見えてくる。問題解決法はマジックではないし、エリートだけの特殊な技でもない。基本的なことを理解して使いこなせば必ず身につくものなのです(これホンマ)。
  
もう1つ大事なのは、問題解決法はもはや業績向上のための施策を考え出せば済む話ではなく、その施策をどのようにして実現させるというところまで踏み込まない限り、具体的な成果には結びつきにくくなったということです。業績向上の施策は問題解決アプローチによって導き出すことはできますが、実現するには「社内に変革推進の仲間」をつくり、その人たちを核に成果につなげていかないと、結局、「いい報告書を作成してもらった。いや~ええ勉強をさせてもらいました~」で終わってしまいます。
  
「人の心に触れることが重要であり、問題解決はまさにハードな分析とソフトな心」がなければ、成しえなくなっているのです。問題解決者には、まさに正しい考え方と、人を巻き込み、同じ目標に向かって邁進させることができる意志が不可欠になる。企業業績が悪いことを嘆いたり、景気のせいにしたり、経営者層や他人のせいにするのではなく、自分たちの取組みによって、まずは業績向上の企業体質をつくる。そうすれば、業績向上策を考え、問題解決の方法を理解し、後は実行あるのみです。
  
最後に、私がこの本に書いたことを象徴する例を紹介します。
  
ある会社で8年間赤字続きだった事業部の話です。その事業部は、プロジェクトを4月に開始して、まさに死に物狂いの取組みを行いました。そしてスタートから1年弱、なんと翌年3月の決算で黒字転換を成し遂げたのです。マイナス成長の売上をプラスに変え、低下していた粗利率を向上させ、無駄なコストを削減したという、理想的なV字回復でした。
  
私は、お祝い会で発表したプレゼンテーション資料の最後に、次のような文章を入れました。大変だったけれどもプロジェクトをやってよかったと思ったこと。それから、次への取組みへの励まし(自分を含めて)を込めたメッセージです。
   
  
 人はだれしも、できればしんどいことをしたくないと思う。
 できればラクして、楽しく過ごしたいと思う。
 でもそれを求めたら、人はダメになると思う。
  
 お客様のことをいつも考え、お客様に喜んでもらえる。
 商品とサービスを提供したら、お客様はみなさんの会社を
 自分たちの良きパートナーと考える。
 そうしたら、結果として、みなさんの会社の売上は増大し
 利益も増える。そして、役員も従業員もみんな満ち足りた
 気持ちになる。生きてて良かったと思う。
  
 数値だけを追い求めたら、お客様はみなさんの会社を
 普通の会社だと思う。そうしたら、会社の将来は、
 きっとつまらないものとなる。
  
 人は、楽をしたい気持ちと、怠け心とマンネリ化と
 戦い続けることが求められる。
 結局、それは「人間の業」との戦いである。そして、
 その戦いが、人生でもっとも厳しい戦いとなる。
  
 その厳しい戦いである「人間の業」との戦いに勝利したものが、
 生を与えられ試練を受けた者として、初めて、みんなから尊敬
 され、「そのような生き方をしてみたい」と慕われる。
 戦いは始まったばかりである。われわれはお客様のために、
 自分たちの仲間のために、そして社会のために、戦い続ける。
 それが、この世に生を与えられた人間の宿命であり、
 みなさんの会社に生きる道を選んだものの責任であり
 義務であると思う。
    
  
  
2006年8月吉日
齋藤顕一 

  

文責:齋藤顕一

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