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忘年会ではなく望年会を開いてみる

12月になるとクリスマス音楽が流れ、忘年会の獲得を目指して飲食店は多いにはりきり始める。
確かになんとなく楽しくなる季節であり、知り合いたちもクリスマス会や忘年会の予定はほぼ決まりつつあるようだ。
そもそも忘年会ってなんだろうね。辞書には年末にその1年の苦労を忘れるために行う宴会と書いてある。
でもよく考えてみたら“苦労することで自分の成長を高めよう」と考えている人にとっては、忘年会はむしろ望年会でなければならないはずだ。
この機会にこの1年を振り返り、どんな新たなことに取組んだのか、それで十分だったのか、なにが上手く行ってなにに苦労したのか、どんなに楽しいことを経験したのか、それらからなにを学んだのか、そして来年にはどのように活かすのかを考えるべき良い機会を作るべきではないかと思う。

 
忘年会の意味がなんてあろうとも、仲間と集まり、美味しいものを食べたり飲んだりしながらおしゃべりをすることほど楽しいことはない。
お誕生日会や、クリスマス会などのお祝い会は会合の名前自体がお祝いなので、なんとなくうきうきもする。
 
これが、忘年会となると、どうも後ろ向きに感じれて仕方がないのだ。
苦労話に加えて、上司の悪口を言ったり会社の問題点ばかりを並べ立てたりしても、気持ちのはけ口になったとして聞いている人にとってはきっと気分も良くないだろう。
 
とすると、楽しいお話はもちろんではあるけど、むしろ過去1年の自分の生き方を振り返って、どんな新しいことに取り組んで、そこからなにを学んだかを話したりすることはきっと面白いのではないのかな。
 
取り組む対象としては、自分に対してなにを課したのか、お客さんに対してなにをしたのか、また人に対してどんなことをしたのか、の3つなんかはどうだろう。
 
ぼくの場合、体重を10%落とすことに取組み成功した、お客さんである問題解決を学ぶぼくの生徒たちが知り合い学びあう「ようは会」を立ち上げ会合をもった。
 
この活動は来年以降、年3~4回ぐらいのペースですすめたい、また人に対してはボランティアで参加しているICU同窓会や法人理事会の理事として新たな活動を始めたことだろう。
 
楽しいことはいっぱいあるし、反省すべきこともいっぱいあるけど、来年は今年よりも“もっとチャレンジング”な年になるのは間違いない。
来年がホントに楽しみや!

文責:斎藤顕一

斎藤顕一語録の著作権はフォアサイト・アンド・カンパニーにあります。
無断転載はご遠慮下さい。

チーム演習作業の効果を高める

問題発見の演習を企業研修などでよく行うのですが、よく出来るチームと出来の悪いチームがある。
各チームの構成メンバーは5人から10人ぐらいでランダムに分けられているので人のよしあしの偏りがあるとは考えにくい。
もちろん問題解決の考え方をよく理解している人と理解していない人がいるのは当然のことだけど、それぞれのチームメンバーの発言内容を聞いていると、どのチームにも優れたひとがいるにも関わらずなぜその格差が生まれるのかを知るのは非常に興味深い。
“演習結果の違い”に影響を与える変数を考えてみると、討議のイニシアチブを取っている人の問題、チームワークの取り方の問題、討議の進め方の問題の3つぐらいが考えられる。
誰がイニシアチブを取るかでよく起こるのは、年齢とか役職が上であるとか、“声がやたらとでかい”とか、良いアウトプットを出すこととは関係のないことでリーダーを決めてしまう。
もちろん、それらの人が問題解決の考え方をよく理解していて、チームの人達の能力を引き出せるのであればいいのであるが、そうでない場合はまずうまくいかない。
チーム演習の目的は、メンバーそれぞれの人の考え方から学び、みんなでよりレベルのアウトプットへと導いていくはずなのに、“自信を持って間違った考えを言える豪傑”がいたり、そもそもあまりしゃべらない人が沢山いると、意見を自由に言える雰囲気でないので、やっぱりうまくいかない。
お互いによく知らない人同士でチームを結成するので、よけいに大変だ。討議の進め方であるが、限られた時間の中で演習を行うので(これは企業活動においてもなんでも期限が決まっているので同じ)、出来るだけ「問題の本質」がなんであるかについての討議をすることが重要になるのであるが、ともすればリーダーを誰にするかを決めるために膨大な時間を使ったり、細かい事実をどう解釈するかの討議に時間を使ったりする。
面白いことは、優れたアウトプットを出すチームは、ひとつだけ出来ているのではなくこの3つのすべてについてうまく取り組んでいることだ。
演習をどう進めるかは学びのレベルに大きな影響を与えるので、チーム演習への取り組み方を真剣に考えることは大きな意味があるのだ。

 
チーム演習からなにが学べるのか?
チームメンバーの人がどんな考え方をしているのかを知り、そこから自分の考えを見直してみる。
 
“なるほど!そんな考え方をしていなかった”とか“その考え方はちょっと無理があるぞ”みたいに、自分の考え方を確認し、新たに考えを広げたり深くしたりするためのアイデアをもらえたりする。
 
それだけではなく、チームをどのように機能させればよいのかとか、どのようにすると人の考えを引き出せるのか、ということまで学べるのだ。
自分個人で孤独に考えるだけではなく、より多くのことを学べる機会だから、その機会を有効活用しない手はない。
 
ではどのようにすると効果的なチームを作ることができるのか?作業の進め方に沿って考えてみよう。
 
問題の本質を考えるためには、まず事実に着目する。
チーム作業では“事実の書き出し”をポストイット上に行うわけだが、良くないチームは書き出す段階で個人の解釈で選別してしまっている。
 
一つの事実だけではそれほど重要そうに見えていなかったものも、ほかの事実と一緒に考えると重要な意味を持っていることがあるので、ともかく事実を書きだすことだ。
 
次に沢山ある混在した情報を(ポストイット)仲間同士を集めるように分類するのであるが、ここで差が出てくる。
 
やたらと大きな括りで分類しようとしたり(外的と内的みたいなもの)、最初から知っている意味のないフレームワーク(人・モノ・金みたいなも)を決めてそれで分類すると、なにが起こっているかを理解するのにやたらと時間がかかる。
そうすると大事な問題の本質について討議する時間が減少しありきたりの考えしか出てこない。
 
フレームワークで整理する意味には2通りあって、全体でなにが起こっているのかを自分たちが理解しやすくするためと、もうひとつは人に理解してもらえるようにするためがある。
 
慣れないうちはまず“自分たちが理解するために分類する”ことが大事で、情報の分類を“明らかに同類”と考えられるものを、それほど情報量が多くなくてもまずグループ化して、それを要約するのがいいだろう。いくつかの“要約文”が出てきた段階で、それらの整理軸を眺めて、人に説明するためのフレームワークを考えてもよい。
 
企業の本質的な問題を理解するためには、大きなくくりとして市場・競合・自社とか、取り巻く環境(市場と競合)・自社戦略・自社体制というような分け方があるので、それで整理して考えても良い。
 
グループ化された情報を要約する時に大事なことは文章の意味を理解して要約することで、文章を単にまとめることではないことだ。
 
このようなアプローチで考えるとすると年齢とか役職は関係がないことがわかるだろう。
 
事前に演習テーマも決まっていて資料が配布されている場合が多いのだから、自分なりに“なにが本質的な問題になるのか”を論理的に整理しておいて、みんなで自分がやったものを持ち寄って、論理的に説得力のあるのを選んで、それをたたき台として討議するのは有効だ。
最初からリーダーを決めるよりははるかに効果はありそうだ。
 
また、誰が全体の討議のイニシアチブを取ろうが、自分の考えを述べたり、ほかのメンバーに意見を求めたり、ともかく全員の知恵を結集できるようにする必要があるだろう。
 
チームワークが取れているグループは明るく笑い声が満ち溢れている。話しやすい雰囲気づくりに全員が努力すべきなのは言うまでもない。

 
文責:斎藤顕一

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経験年数は意味がない

世の中でわりと重要視されている言葉として“何年何十年の経験がある”という表現がある。
確かに、「私は、教員生活を30年やってます」とか「私は職人として25年の経験があるのです」と言われると、それはすごいですね~と多くの人は反応する。年数の蓄積には重みがあるということやね。
また、若い人の中には、「経験がモノを言うのであれば、これは年を取らないとダメだということですね」という人もいる。
これらの反応や意見は正しいのか?必ずしも正しいとは言えない。
本来の“経験”とは、信念を持って自分を成長させるために無我夢中になって取り組んだ期間と内容に関係があるからなんです。
だから、60歳の大学教授が35年の経験があると言ったとしても、夢中になって研究に取り組み研究者として自分を成長させた時期が大学院を含めて最初の10年間であれば、この人の経験は10年しかないことになる。
一生懸命に取組んだ時期が1年で、その1年の経験を10回繰り返しても、経験は10年ではなく1年ということや。
逆に、時間軸にスピードをあげて取り組むことが出来たとすると、その人の“経験年数”は飛躍的に増えることになる。
例えば、行動するスピードを速めると普通の人の成長のスピードよりも3倍ぐらいは速く成長することができる。
とすると、スピードを速めて一生懸命に自分の成長に取り組んで来た30歳の人にとって、大学卒業後の8年の経験は、実は普通のスピードで過ごしている人と比較すると、実に24年の経験を経てきたとも言える。
「僕の年齢は今30歳ですけど、真剣に問題解決に取り組んでいる実経験年数を加えると、なんと46歳の年齢の人の経験を持っているのです」なんて、言えるようになりたいもんだね。

 
なにを経験したかは重要ではあるものの、「経験したこと」は、「経験していないこと」よりも素晴らしいとは思う。
しかし経験年数に話が行くと急にテンションが下がってしまう。
 
これは人生経験も同じで、経験年数が長いつまりは年をとっているから、”その年齢に応じた魅力“を感じるかというとそんなことはない。
その人の生きるスピードと質に、つまりは”生き方“にしか魅力を感じない。
 
それが専門領域に関しての話になると、なぜか人は”経験年数が長いことは良いことだ“と思うようになってしまう。
 
それを意識しているせいか、ぼくは人にはコンサルティングの世界に何十年いるのですとは恥ずかしいから言わない。
 
それはあたかも、大学はどこで、どんな会社に勤めているのかを言うことで、自分の実力ではなく相手の人が持っているはずの”大学や会社に持つ良いメージ“で見てもらいたいという意識に似ている。
本当の経験年数とは”実力“の話になるわけだ。
 
だから企業人で「製薬の世界に20年いる」からと言って、”知識“だけは20年分の業界に関する蓄積はあるかもしれないけど、「現状評価した結果、これらから導き出された意味合いはこういうことで、わが社が取組むべき道はこういうことだ」と言うような”知恵“を言えないとなると、それは20年に値しないで、せいぜい5年の話にしかならないのだと思う。
 
とするとやっぱり「実経験年数を増やすためには、考え方を学びスピードを高めて行動すること」しかないということやね(笑)。
頑張りがいがあるな!

 
文責:斎藤顕一

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大きな壁も「勇気ある最初の小さな1歩」で越えることができる

問題解決法を学んでいる学生が最初に迎える大きな壁はどうも情報を集めてそれを分析するところにありそうだ。
問題解決の考え方とかフレームワークをどう使うかなんかは、「目から鱗が落ちたぞ~」とか「な~るほど、こんな考え方もあるんや~」というように、今までの考え方にちょっとした“刺激”を与えるかもしれないけど、「情報を集めて分析する」というのは、それまでの“考え方”を知ることとは全然違う世界に突入することになる。
それは、最初に学んだことは“考える世界”だったのが、実務の世界に入ることを求められると同時に、それらをベースに考えることを求められるという二重にしんどいことだからなのだ。
今まで情報を集めたこともない人にとって、“価値のある情報を収集せよ、そしてそれらの数字をチャート化して、なにが起こっているかを説明しろ”と言われても、“目が点”になるぐらいだろう(笑)。
問題解決力を身につけ会社の業績をあげるためには、事実をどれだけ理解できるかにあるため、どうしても情報を集めて分析するプロセスが必要でそれから逃げるわけにはいかない。
 
ではどのようにその大きな壁を越えるか?
ここで理解して欲しいことは、実は“大きな壁も、小さな壁が重なりあっているだけなのだ。
だから、恐れないで、まず自分達が知っているすぐ手に入るデータをチャート化することから始めるのが良い。
最初は越えるべき壁が”富士山“のように思えて「こりゃ、あかんで~」と思うのではなく、まず東京は港区にある愛宕山から始めるみたいなもんや(笑)。
”びびる“のではなく、まずチャートを書いてみて、そのチャートをじっくりと眺めて考えてみる。それが分析の始まり。
そこで”なんでこうなってんの?」という疑問を持つことが重要。
その疑問に答えるために、また数字を集めてチャートを書いてみる。
それを繰り返しているうちに、気が付いたら富士山の頂上におった~ということや。まずは最初の勇気ある一歩を踏み出すこと、そして2歩3歩と進んで行くことが重要なんやね。

 
コンサルティング会社を目指す人が最初に受ける洗礼は、“目的はこんなことで、それを満たすために、これこれのデータを集めてチャートを書いて、発見したことを説明してや~”という作業。
そんなデータがどこに出ているのかをまず知るのが最初。
 
それが見つかったらなにが起こっているかを理解するために、チャート化(ビジュアル化)して考える。
それを繰り返し、重要なことについては深堀していく。
最初は時間がかかるけど、今まで知らなかった事実を発見し、どこに機会があるかがわかり始めて面白さを感じ始める。
 
最近はコンサルティングだけではなく、企画部門のようなスタッフ部門は当たり前としても、営業部門のようにライン部門でもこれらの作業が出来るように学び始めた。
事実をデータとして分析することのみが、ビジネスにおける“宝の山”を発見できることに気がつき始めたからだ。
 
“宝の山”は簡単には発見できない。
良い話には必ずと言っていいほど、最初に非常にしんどい難関な道が待っている。
 
この場合は、良いデータを探し、それを分析するという作業なのだ。問題解決の道を歩み、宝の山を発見しようとする人には避けて通れない道であるため、ともかく前に進むしかない。
 
“データを集めて分析する”と聞いただけで、そのような経験をしたことの無い人には、流れの早そうな川にパンツだけで飛び込むように思うためなのか(笑)、川にも入らない人が結構いる。
川に飛び込んでも、川での効果的な泳ぎ方を実践しないため流される人も確かにいる。
 
最初は緩やかな流れに乗り、そのあとでちょっと急な流れに入るようにすればいい。そのうち、楽に川くだりができるようになる。
 
“情報を集めて分析する”という困難な作業も、誰でも取組めるところから、徐々に取組めばいい。
データを集めることが大変なら、自社のすぐ取れるデータをチャート化して考えることから始めたらいいだろう。
 
1枚のチャートになぜそうなるのかという疑問を持ったらしめたものだ。
それは川の流れに乗り始めたことを意味しているのだ。
 
まずは未知のことに対しては、最初から諦めるのではなく勇気を持って取組むことだ。
1歩2歩3歩。そうすると、何10歩先か、何百歩先かに“宝の山”が見えてくる。それまで、地道に歩き続けることが大事なのだ。

 
文責:斎藤顕一

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知のネットワークを広げ、心のネットワークを作る

本を読む、学校での講義を聴く、仲間や先輩のプレゼンを聞く、友達や知り合いと話をする。
そうすると、自分が知らなかったことを知ることが出来たり、おぼろげに感じていたことが人の言葉を聞くことで明確になったり、今までそんな考え方をしたこともないことに気づかされ感動したりする。
ここで終わってしまうと、自分の閉じた世界で終わってしまう。
それらの新しい考え方に触れることで、一度その考えを自分でも試してみようと行動してみる。
行動してみることで、初めて人から聞いた言葉に対してその正しさに確信を持つようになる。
そうするとまたその人たちの言葉に触れたいと思うようになる。

 
そのような同じ気持ちを持った人たちがいつの間にか気がついたら集まっている。
知のネットワークの始まりだ。
その時点で知識は知恵に変わっているだろうし、お互いの知恵に対して敬意をいだくようになり、そこに心のつながりが出来始める。
そこには今まで過ごしてきた環境も、学校も、職場も、年齢も、性別もなんら関係ない。
そのつながりは、学校や職場での同窓であることから始まるということよりも、自分を成長させたいと願っている人たちの集まりの中から芽生えるのではないかと思う。
そんな集まりがいっぱいあればきっと楽しいなと思うし、世の中はもっと良くなりそうな気がする。
そんな機会をみんなが作れるようになるとすごいと思う。

 
異業種交流会なるものには出かけないのだけど、聞くところによると名刺を交換し、自分の会社の売り込みをすることに一生懸命みたいらしい。
 
同窓会の集まりに行くと思い出話や今どんなことをしているのかなどに話の花をさかせる。
友達に会うと共通の話題が多いために会話は盛り上がる。
 
これらのことを懇親目的のネットワークづくりと呼ぼう。
 
知的なネットワークは、もちろん自分からそのネットワークの一端を担おうと思わない限り参加できない。
ネットワークの一端を担うためには、自分の知的レベルが他人にどう思われていようが、自分自身が一生懸命考えたこと、また感じたことを人に伝えていく必要がある。
 
懇親目的のネットワークでは自分をちょっとかっこ良く見せることもあるだろうけど、知的ネットワークに参加する意味は、“自分なりを表現すること”が大原則。
 
自分の成長を志向している人にとって“正解の考え”は存在しておらず、いろんな人のいろんな意見や考えから、自分にとっての意味合いを考え、自分の考えを正したり確信をもったりする。
 
だから着飾る必要もないし、人の賛同を最初から求める必要も無い。
名刺に書かれた会社の名前や肩書きも最初はなんか意味がありそうだけどそれだけで終わり。
人は会話の中に、その人の魅力を見出す。
 
大事なことは自分の素直な考えを表現し、人の意見に耳を傾け、自分が貢献できそうなことについては提案すること。
人のために尽くそうとする人には確実に人から助けられる。
 
このような関係が出来たときに、気がついたら心のネットワークが形成されており本当の信頼関係ができているのだろう。
 
まず、知のネットワーク作りに参加することから始めたらどうだろう。
 
文責:斎藤顕一

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“考えろ!”ではなく方法を教える

「言われたこと指示されたことはなんとか出来るけど、自分の頭で考えて行動する社員や考えをまとめて提案できる社員がいなくて困る。
管理職ですらそうなのだから会社の業績があがるわけがない」と嘆く経営者がよくいる。
もちろん思いつきで行動されて失敗するのも困るわけだけど、なぜ考えることが出来ないのか?
これは社員に能力がないのではなく、“考えるとはどういうことか”がわからないからなのだ。
考えるためには“考えるための材料”を自分で探し出すことを教えてあげないと旨くいかないのだ。
考えるための材料とは、経験とか本から得た知識ではなく、事実ベースの数字であり、顧客に質問して聞きだしたことなのだ。
それらに関して、なぜそうなっているのかについて疑問を持ち、答えを自分なりに見つけようとすることが“考える”ということなのだ。

 
企業の管理職の人に「今の部門業績はどうなっていて、その業績を高めるためには具体的になにをしているのか?」という質問をしてみる。

業績については先月に比べて売上や利益がどうなっているかはほとんどの人が答えることが出来る(過去1~2年の月別変化について答えることが出来る人はまずいない-笑)。

しかし、具体的になにをしているかの問いに対しては、業績悪化の原因とは関係がないことを言うか、「会社方針に従って、会社が決めた重点事項に一生懸命頑張って取組んでいます」と言うか、しかない。

そして一般社員に対しての問いかけ「自分の売上をもっと上げるためにどうしているのか?」についての答えも、「管理職からの指示に従っています」「頑張っています」というように、思考停止している状況になっている。

もちろん、管理職や一般社員のなかには、「業績はこうなっているのですが、どうも原因はこんなところにありそうです。だから、こんな取組みをしているのです」という人もたまにいる。

なにが違うのか。自部門や自分の数字の変化、顧客データベースに記載されている内容の変化、また実際に自分の顧客に質問してなにが起こっているのかを理解しているか、していないのかの違いなのだ。

過去の経験や書籍から学んだ一般論から、当たり前のことを言っているのではなく、直近で起こっている変化を理解した上で、課題の解決法を考えているのだ。考えるための材料がなんであるかを示すことができたら、次に数字をみて、それらをどのように読み取れば良いのかということについてアドバイスする。

また顧客にどのような質問をすれば良いのかということを、断片的に教えるのではなく、体系的に筋道を示しながら教えてあげると初めて“考えることの出来る社員”を作り出すことができるのだ。

文責:齋藤顕一

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「今さらですが、問題解決は実学です」

先日、取材で「これだけ問題解決が重要視されるようになって来ているのに、なぜ大学で積極的に教えないのですかね?」という質問を受けた。

その時、私が思いついた答えは「普通、大学では学問を教えるけど、問題解決は学問ではなく実学だからなのでしょう。

実学なので学問を究めようとしている学者には教えられない。

日々、実業において問題解決に取組んでいる人から学ぶしかない。

もちろん、問題解決に取り組んでいる人が教え上手とは限らないけどね」だったのです。

だからこそ、アプローチやフレームワークをただ覚えるのではなく、「問題解決の考え方」をしっかりと学ぶことが重要であり、その考えを実業の世界で実践して、試行錯誤し自ら会得することしかない。

“問題解決の考え方”はビジネスだけではなく、大学経営、自治体経営、それこそ同窓会や町内会のような小さな組織にも使えるので、現場で学んだ考えを試し、結果について考え、またやり直すことをやり続けてもらいたいものだ。

一般の大学の経営学部教授や学生の話を聞いていると、彼らが教え学んでいることは、私が考えている「問題解決の考え方」とは随分と違うらしい。

私にとっての「問題解決の考え方」とは、企業の業績を向上させる上で「なにが本質的な問題なのか」、「それを解決するためにはどのような取組みをすべきなのか」を見極め、成果を創出するところにある。

要は「業績をあげることが出来るか、出来ないか」の話であって、「このような取組みをするとうまく行く可能性が高い」というように、一般的な理論や取り組み方を学んでもらっているのではない。

そもそも、そのような一般論によって企業業績をあげることが出来るわけではない。

個別企業にとっては、その会社を取り巻く競争環境も違うだろうし、その会社の実力度合いも、人のやる気度も千差万別であって、ひとつの理論や方程式で問題を発見でき、そして解決の方法を導き出せるものではない。

まさに、事実に着目することや、顧客を観察し顧客から学ぶこと、そして従業員や管理職の気持ちを理解することなどを含めて考えることで、初めて「問題解決の考え方」が実践できることを意味する。

企業業績向上の阻害要因は、それこそ無数に存在する。

現場において発見した多くの“問題点”についてなぜそのようなことが起こったのか、その問題の源はどこにあるのか、を考え続ける。

それを発見して、解決法を導き出すのは、まさに「実学」の領域である。

「問題解決の考え方」は、記憶すれば済むものではなく、その考えを現場で使い、試行錯誤することで初めて自分のモノになる。

その一連の“考えること、考えを人に伝えるために表現すること、そして考えを行動に落とし込む”取組みに周りの人が良い影響を受け、結果的に頼られるようになる。

これが実学によって得られる成果だと思う

文責:齋藤顕一

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新入社員は5年間は死にものぐるいで働け

世の中で存在感を示している「成功した人たち」にインタビューしていると、人が成功する理由は本当にいろいろあるのだな、と感心してしまう。
学校で勉強をしなかった人もいれば、勉強に夢中になった人もいる。
一貫して自分の夢の実現を目指して頑張った人もいれば、目の前に降ってわいたような話に飛びついてチャンスをつかみ続けた人もいる。
様々なやり方はあるが、そんな中にもいくつかの共通点は見出せる。
そのひとつは、大成する物事を始めたときに、一生懸命だったことだ。学生時代に勉強しないで好きなことだけやっていた人も、社会人になった時にはそれこそ猛烈に仕事に取り組んでいるのだ。
それも単にガムシャラに働いたのではなく、上司の期待値を理解し、その期待値を超えようと努力したのだろう。
そこで苦労して、単に我慢する方法だけでなく、どのように問題を解決すれば良いのかを体験すると同時に、それが楽しいことであることを学んでいるのだ。
それが将来に大きな影響を与えたことは間違いない。
社会に出た最初を、そのように頑張り続けて過ごす人と過ごさない人との違いはいかに大きいことか。
それは新入社員というだけではなく、新しいポジションを得たとき、新しい部門や新しい会社に変わったときも同じことが言えるのだろう。

現役大学生と話をしていると、“どうすれば楽をしてお金を儲けられるのか”とか、“どうすれば入社試験の面接をうまく乗り越えられるのか”とかの質問を受けることがある。
 
入社2~3年目の社員からは、“上司は、指図はするけど教えてはくれない”、“忙しすぎて勉強ができない”との話もよく聞く。
 
これはどういうことなのか。
客観的に評価すると“自分の成長は自分自身が負う責務である”といの認識を持っていないと言えるかもしれない。
 
しかし、それでは成功している人達は、そのような“高度な認識”を最初から持っていたかというと、必ずしもそうではないのだ。
 
彼らの大半は、自分のボスの期待値をなんとなく理解し、その期待値を超えるために猛烈に頑張っただけなのである。
それと同時に、自分のその時の能力では期待値を満たすには不十分なことを知り、足らないところを強化しようともしている。
 
何より、自分には無理なので誰か別の人にやってもらおうとか、言われたことだけを適当にやっていればいいのだ、と考えて、苦労から逃げることだけはしなかったのだ。
 
自分のレベルが上がれば相手の期待値も上がる。
こうして段々高まっていく期待値を満たすために“自分の頭で考え、試行錯誤するプロセス”を通ることで成長のスピードを高めたのだ。
 
むろん自分なりに苦労して得た成果への喜びは大きく、次の飛躍の原動力になったのは間違いない。要は良いサイクルを自分で作り出したのだ。
 
もし、みなさんが新入社員を預かる先輩であるとするならば、単に仕事を与えて忙しく働かせるのではなく、期待値を示しその期待値を達成するためのヒントを教えてあげるといい。
 
また、時にはその人達の伸ばすべき弱点を指摘し、その解決のためにどうすればいいのかの例示を教えてあげることも良いだろう。
 
自分で考え苦労させることが重要であるので、答えを教えるわけにはいかないのだ。
 
自分を磨き、期待値を満たし、成果を達成するためには、未熟であるがゆえに、猛烈に働かないと追いつかない。
 
自分が働く企業にもし”成長志向の文化“がなく、自分の周りに”良い師匠“がいないのであれば、3年頑張る程度では不十分だろう。
 
それに、今のように変化のスピードが激しいときには、自分の考え方や行動のとり方のパターンをある程度見極めるには、やはり5年の期間がいるのではないか。
 
だから、必死で頑張ったらいい。そのような苦労は必ず報われるものだ。

 

文責:齋藤顕一

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数値目標を重視するのではなく活動内容重視で新年度に臨む

4月から新年度が始まって、全体会議などで新しい事業計画や部門目標が提示されている会社も多いだろう。
初めてその目標値を聞いた人たちはどのようにそれをとらえるだろう。
「また、無理な計画ばっかり立てて、こんな数字達成出来ないよ」とか、「どっちみち、達成できなくても非難されるわけでもないので適当にやっておこう」、「そもそも数値目標は管理職が気にしていればいいのだ」などとネガティブに考える人は結構多いのではないか。
数値目標は目指すべき到達点を示すという意味で重要ではあるか、本当に大事なのは「どのような活動をして数字を上げる」かにある。
自分がこれから取組もうとしていることは、自分にとって貴重な1年をかけるに値する活動かを考え直してほしい。
数字は結果であり、顧客にとって価値のある活動をすることで初めて期待以上の数字が得られることを再認識すべきなのだ。

 
「予算」もひとつの数値ではあるが多くの人たちの捉え方は間違っていると思う。
予算はある目的を達成するための上限の金額数値であるだけで、決して「使わなければならない金額」ではないのだ。
 
例えば、会社行事でお花見をしましょう~となった時には企画する人は、まず「予算はどのぐらいですか?」と上司に聞き、上司も「去年はこのぐらいだったから、このぐらいで考えてみたら」と提示する。
そしてその金額を使おうとする。これでは本来の目的を達成するために、なにをどのように成し遂げるべきか、という「重要な考えのプロセス」を放棄していることになる。
 
予算があって、何人ぐらい集まって、それなら場所はここ、食べ物は何、出し物はこう、と決めていくのは楽ではあるが、まさに「何のためにそれをするのか、それを達成するためのベストの方法は何か、その為に必要なコストは正当化できるのか」という活動の価値を高めるための考え方が出来ていないことになるのだ。
 
 
売上目標などの部門目標値も、結局同じように決められていることが多い。
 
人数がこのぐらいいて、コストがこのぐらいかかっていて、株主からはこういう成長が求められているから、前年の数字を参考に、このぐらいの目標数値にしようと決めてしまう。
 
まず、全体を決めて部門間調整をして、各部門の数字を決めよう、という流れは、業績向上を目指した本当の計画ではない。
 
売上は、活動の結果であって、何のためにどんな活動をするか、という具体策なしに数字を決めても絵に描いた餅にすぎなく、成果をあげることは極めて難しい。
 
自分たちの使命は何なのか。目的はなんなのか。お客さんに何をどのように提供すべきか、その中で自分たちがなすべきことは何か。そのように考えることで数字はあがる。
 
さらにその数字を最大にするために、自分の良いところは強化すると同時に間違いを正し、新たな取り組み方を考えてみる。
 
新しい目標値をもらった時に、その数字をいったん忘れてこれらのことを考えてみてもらいたい。
そうすることが結果的に目標数値を大きく上回るような成果を生み出すことに繋がるのだ。

 
文責:斎藤顕一

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苦しい時こそ自分を見直してみる良い機会

東日本大地震で被災された方々の苦しみは想像を絶するものと思います。
心からお見舞い申し上げます。
今回の経験したことのない大地震にみんなが苦しんでいる。
さらには、計画停電、交通網のマヒ、ガソリンや食料・飲み物の品薄、そして断続的におとずれる余震。
福島原発のニュースはさらに不安をかきたてる。
そんな中にも関らず、苦しんでいる人達をさらに苦しめているシーンを見る。
東京電力や政府を詰問したり被災者の気持ちを理解できないで無神経な発言をするジャーナリスト、計画停電を批判する人、節電することを怠るひとたち、必要以上の生活物資を購入しようとするひとたち。
「批判するなら提案をするべきだ」、という議論も正しいが、自分中心の提案をすることで、さらなる苦しみを他人に与えている人もいる。
このようにみんなが苦しんでいるときこそ、自らが育んできた知力や人間力を発揮して、自分を励まし周りの人達を励ますと同時に、自分なりにできることを行うべきなのだ。
自分の考え方や行動の仕方を振り返り、間違いがあればそれを改め、人のために貢献できることに喜びを見出すことが大事なのだ。

 
自分が苦しい状況に陥ったときに、自分の不幸を嘆いたり、誰かを批判し責任を追及したり、自分中心の提案や行動をしてしまう人も多いが、それらはなんら建設的なものを生み出さないし、結果的にさらに苦しむ人達を増やしてしまうことにつながる。
 
被災された人達や余震による被災を心配し、さらに福島原発の問題に不安を持つのは自然の成り行きではあると思うけど、そこからスタートすると“心配度”はますます増大し気分はふさいでしまう。
 
現実を直視することは大事であるけど、心配や不安感だけを持つのではなく希望をもって前向きに行動することしかない。
 
「自分たちならみんなで一緒に乗り越えることができる」と信じて、自分を励まし、周りの人たちを励ますことが非常に重要になるのだ。
声をかける、電話をする、メールを出してみる、それらのちょっとした行動が人に小さな幸せを感じさせることができる。
 
苦しい時こそまさに人間性が問われるのだ。
人の苦しみに無関心になっていないか、必死になって努力し問題解決に取り組んでいる人達を非難していないか、自分中心の提案だけをしていないか、電気や資源を今までと同じように使っていないか、言うだけで行動していないことはないだろうか、などを自分に問いかけ、もし間違いがあったらそれらを正すための努力をする。
 
そして人のために尽くしてみる。
 
そうすることで、日本が立ち直れることに貢献できるだろうし、きっとそのことに本当の幸せを感じるはずだ。さあ、やってみよう!

 
文責:斎藤顕一

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営業は“初めに製品ありき”から“初めに質問ありき”に大転換する必要がある

「営業が求められていることは自社の既存製品・商品やサービスを顧客に売り込むことであること」に誰も反対しないだろう。
ただ、経済が停滞し売ることが非常に厳しい時代には、自分たちの既存製品を既存顧客に売っているだけでは会社は成長しない。
とすると自分たちが慣れ親しんで来た製品だけではなく、まさに顧客が求めている製品やサービスを売ることが重要になるのであるが、そのためにはまず既存顧客や潜在顧客から“求めているもの”を聞き出す必要がある。
ところが、営業は顧客から既存製品に関する質問に答えることができても、顧客に対して“既存製品以外のこと”について質問することや“その質問に対する顧客の答え”について、更に答えることは慣れていないので出来ないのだ。
これは“顧客の本当のニーズを満たすことが重要”と言われながら、最前線にいて顧客情報を獲得する役割を担っている営業が出来ないのだから、顧客のニーズを満たすことができず結局ジリ貧になることを意味しているのだ。
営業の質問力を強化するためには、今までの営業の“初めに製品ありき”の活動を改めて、意識・論理性・ツール開発によって“初めに質問ありき”の活動に大転換すべきなのだ。

 
 BtoBビジネスを行っている企業の営業の人たちも最近は、顧客、それも普段から窓口になっている購買部ではなく、企画やマーケティングの部門に対して質問することの重要性を認識しつつある。
 
ただ、問題は、長年“初めに製品ありき”で営業活動を行ってきた人たちにとって、“①顧客に問いかけて→②顧客から問いかけへの答えが返ってくる→③その答えにまた営業が問いかける”という一連の会話が成り立たせることが困難なのだ。
 
なぜか。最初の問いかけは準備しておけば質問できる。
ただ、次の顧客の答えの中に“自社製品に関連がありそうな言葉”が出てくると、営業の習性から“すぐ既存製品の中から類似製品を提案してしまうから”なのだ。
 
例えば、営業は「みなさんがお困りのことってどんなことなんですか?」と問いかけ、顧客の答えが「いま、困っているのはもっと小型化して重量を10%は下げたいのだ。もう少し、部品を小さく軽く出来ないか?」と問われると、営業は製品カタログを見て提案するか、テーマを自社に持ち帰ってさらに小さく出来ないかを開発と討議するという、今までと同じアプローチを取ってしまうのだ。
 
既存製品を売ることに慣れた営業にとっては「すみません。なぜ小型化が重要なのですか、なぜ10%なのですか?」という質問が出来ないのだ。
 
これは“自分達の製品をなんとしてでも売るのだ”という意識ではなく、“なんとしてでもお客さんの抱えている問題を解決してあげて、それで売上げを上げるのだ”という意識に変えない限り無理なのだ。
 
また今まで既存製品に関する“具体的な質疑応答”しかしてこなかった人たちに、「御社の業績をあげたり生産性を高めたりする上で困っていることはどんなことなのですか?」という“そもそも論に関わる抽象レベルの高い質疑応答”が出来るようになるためには、目的に戻って考える方法を教えてあげないと難しいのだ。
 
ただ、顧客の業種・事業領域や企業規模などによって“困っている内容”は何通りかに分類できる可能性が高い。
 
そのため、営業がすべき質問や、顧客の答えや問いかけに対する営業の答え方をある程度想定できるので、ツール化しておいて訓練をつむことで、営業の質問力を今までよりも高めることは出来るのだ。

 
文責:斎藤顕一

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明るさを振りまいて人を喜ばせる

問題解決を志すProblem Solverは素晴らしい。
社会や、企業や、小さな組織や、家庭の問題を解決して人々に笑顔をもたらすことができるからだ。
難点があるとするならば、瞬間的に人の笑顔を引き出すことが難しいところにある。
成果につながるまでにどうしても時間が必要になるからだ。
そのため、問題解決を目指す人こそ、明るく、笑いをもって人と接するべきだ。難しそうな顔をして、難しそうなことだけを言う人よりは、明るく笑いを持ちながら、正しいことを言う人のほうがはるかに魅力的だ。
周りを見渡してみたらいい。明るく前向きに仕事に取組んでいる人はきっと人気者だろう。
そして仕事も出来る人の場合は魅力度はもっと増す。
結局、大変な時代、苦しい時代こそ、人を元気にする笑顔がどうしても必要になる。
問題解決者を目指す人たちこそ、正しく考えることが出来るように精進し続けることはもちろんのこと、今年は多くの人達に“すぐ元気になってもらえる”ように、明るさを振りまいてみることで自分の価値を高めてみたらどうだろう。

 
 問題解決の世界はともすれば、“難しい”とか“温かみが欠けて冷たい”と思われているようだ。
確かにコンサルタントのそばにいて、ほのぼのとした温かみを感じる機会はあんましないかもしれない(笑)。
 
それはきっと膨大な量の情報やデータを “冷めた目”で観察し、分析して、“人が聞きたくないこと”を平気そうに言うからかもしれない。
それに、いつも考え続けなければならないから、自ずと“気難しい顔”をしているからなんでしょう。
 
でも実際の仕事の場面ではどのような人が、人気者なのだろう?
気難しく賢いことを言う人よりも、いつも明るく“みんなを元気にする”人たちに決まっている。
 
問題解決を目指す人にとっては、人に大きな影響を与えることが大事なわけだから、今年から明るく振舞ってみることも、重要な取組みにしたらどうだろう。
 
挨拶をしっかりとする、声に張りをつけ元気さを滲ませる、落ち込まないで前向きになる、自分から仕事を買ってでる、人を笑わせる、そしていつも人に感謝する。
 
これらを実行するだけで周りは明るくなるはずだ!
 
もちろん、これらが出来るのは“人を大事にしようとする心”があるからなので、それをまず自分の軸足としてしっかりと持つことやね~。

文責:斎藤顕一

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